SSブログ

マルちゃんはなぜマルちゃんであるのか。そしてそこから思うこと。 [赤裸裸]

昨日のブログに登場のマルちゃんことオオバナ(マルチ)の解説。
そもそも珊瑚においてマルチというのは色が2色以上入っていることを指す。
当然、1色より2色、2色より3色、3色より4色というふうに値段は乗数的に高くなる。僕のマルちゃん(3色)で1万円ほどだった。
最近特にオオバナのマルチは市場にあまり出回っていない。オオバナ(マルチ)はそのほとんどが高知沖で採取される。さらにいつもそれを一人で採取していたおじいさんが先日亡くなられたそうだ。つまりオオバナ(マルチ)の高知沖の漁場を知っている人がいなくなったというのがその理由。

誰が生産したものであるとか、加工したものであるとか、どういった流通経路で市場に流れてきたかとかを、近年ではあまり気にしない風潮にあると思う。少なくとも僕自身はそうである。

消費者の目に見えるものは値段であり外観であるというのは今も昔も変わらないことではあるが、昔は舶来物とか長野県産のレタスとかいった具合に目では見えないものをより深く意識していたと思う。それはおそらく生産技術が偏っていたからだと思う。これはここ、これはここという感じでそこでしか作りえなかったから。

今は日本国内のみならず、世界的にも生産技術の均一化がはかられてる。なのでバーバリーが別にイギリスで作られていようが日本で作られていようが値段が高くて見た目がよければそれでオッケーなのである。ユニクロが日本で作られていようが中国で作られていようが安くて見た目がよければそれでオッケーなのである。レタスが長野県で作られていようがカナダで作られていようが安くて美味しければオッケーなのである。牛肉が日本で生産されていようがアメリカで生産されていようが安くて美味しければ狂牛病なんのそのでオッケーなのである。

今は高級ブランド志向でブランドショップは不況どこ吹く風で利益を生んでいるが、ある意味昔の方が値段に関係なく広くブランド志向だったのである。そうならざるを得なかったのである。

前述のようにこういった事象を簡略化して「今」と「昔」という時間軸で捉えていた。しかし正確には「今」というのは広く成熟した市場を持つ商品ということになる。「昔」というのは小さい未成熟の市場における商品ということになる。言い換えれば、生産技術が広く均一化する前の段階にある商品ということになる。

あらためて自分の購買行動を思い返してみると大好きなタバコを買う時でさえ、いちいち商品の裏側にある目では見えないものに対して思いを馳せることもない。ほとんど今風の買い物で終わっている。

けれど、海水魚を買うときは明らかに昔風の買い物をしている。

「不器用な男ですから」(高倉健)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。